多品目の販売戦略、次は6次産業化。
困難でも「夢と希望」を与えてくれた人たちの恩に報いたい。
将来を嘱望された自衛官の道をなげうって、沖縄での永住を決意した。「稼ぎたい」と思って選んだ農業だったが、農業経営はそう簡単ではなかった。それでもここまで来れたのは、助けてくれた人たちがいたから。そして就農4年目頃からようやく見えてきた明るい「兆し」。やる気と根性は誰にも負けない、ベテラン顔負けの熱血農業人を紹介。
鍛えられた体に優しい笑顔
取材陣が向かったのは本島中部の勝連半島に位置する、うるま市勝連南風原地区。この日も相変わらず30度を超える暑さで、道中顔を出した勝連城跡の丘陵が青空にくっきりと線を描いていた。
待ち合わせ場所に着くと、恰幅の良い農業人がかん水作業に汗を流していた。オクラを栽培し始めて5年目の程塚敦さん(44歳)。がっちりとした体つきに目を引くデザインのシャツ、耳にはピアス。武道家のようにも見えた。
そんな敦さんが開口一番に力強く話し始めた。
「元海上自衛隊員です。出身は秋田ですが、沖縄に帰ってきました!」
イメージ通り体育会系のハキハキとした声だが、目尻にシワが寄るくしゃっとした笑顔は優しさを感じた。
やっと見つけた畑、初めての挑戦
学生時代に航空試験に合格し、海上自衛隊にストレート入隊した敦さん。平成15年から沖縄勤務を命じられ、任期はまたたく間に過ぎ、敦さんにまた転勤が訪れた。
「一度も自衛官を辞めようと思ったことは無かった。一生兵隊のつもり。周りからも『鬼軍曹』と言われるほどで、次はヘリの教官としても内定していたんです」そう言いながらも敦さん、「沖縄に魂を置いてきたような気がして、喪失感というか、とにかく『沖縄に帰りたい』という一心でした」
敦さんは平成18年に自衛官を退き、沖縄での永住を決意。最初はマリンスポーツやフィッシング関係の仕事に携わっていた。
「沖縄に住んでからも、自衛官の同僚とはたまに飲み交わしたりしていました。その時いつも、『この人たちよりは稼いでやる』って思っていましたね」
その思いから、自分で何かをやりたいと常々考えていた敦さん。移住8年目の平成25年に就農を決意した。
「農地って中々見つからないものですね。借りるために手間や時間、お金もかけて申請して手続きして、でも結局ダメで、そういうのが続いていたんですけど、JAに相談したらすんなり紹介してくれました」
やっとスタートを切った敦さんだったが、定植寸前に大豪雨に見舞われ、時間をかけて土づくりした畑が流されたそうだ。
「出だしから災難でしたね」と嘆くも、めげずにオクラ栽培をスタートさせ、3年目には規模も拡大。コマツナやフダンソウなどの葉野菜にも挑戦し始めた。
農業は一人じゃできない
敦さんが今まで一番悩んでいたのは昨年の6月頃。就農から3年間赤字が続き、経営が思うようにいかなかった。すがりつくように相談したのが、同じJA中部地区青壮年部に所属する宮島寛之さん。寛之さんは「とりあえず俺の畑にきてみろ」と敦さんに告げたそうだ。
「宮島さんの畑はね、おばちゃんたち4~5人が収穫して、切って揃えて、袋詰めしてシール貼って、それが月・水・金と決まっていて。何かすごく効率的というか、これが経営なのかって、ハッとさせられました」
先輩の経営を生で見せてもらって、少しヒントを掴んだような気がした敦さん。現在は従業員も1~2人雇うようになり、計2000坪のほ場でオクラやゴーヤー、ナス、パパイヤ、島トウガラシなど多品目で販売戦略を練り、今年は販売金額も右肩上がりに伸びているそうだ。
そんな敦さんが今までを振り返った。
「1年目は夢と希望ばっかり。2年目は現実を知って苦悩、3年目も苦悩。4年目にやっと兆しが見えてきたんですよ。農業は一人じゃできない。経営を見せてくれた先輩、農地を紹介してくれたJA、他にも色んな人たち。出会いが無ければ、俺は確実に農業を辞めていたと思います。恩に報いたいです」
農業の厳しさと、諦めないことの大切さを熱く語ってくれた。
気づいた「責任」と「目標」
そんな敦さんは、地域の食育活動にも積極的に参加している。
「小学校に野菜を贈って、給食で一緒に食べる。自分が作った野菜を、子どもたちが目の前でモリモリ食べるんですよ。嬉しいと同時に、プレッシャーというか、ちゃんと良いものを作らないとなって思いますね」
安全・安心への責任を感じる敦さんに、生産者としての意識の高さが垣間見えた。
農業で〝儲けたい〟と思う敦さんが今後の目標を話してくれた。
「六次産業化です。何をするかも決めていますが、今は内緒で(笑)。やってやりますよ。それと、地域の人たちの雇用も生み出したい。将来はそこまで出来たらいいなって思っています」
敦さんの表情は、最後までキリッと引き締まっていた。
※六次産業化とは、農業や水産業などの第一次産業が、加工や流通、販売までを一貫して行う経営多角化のこと
JA担当者の声
中部地区
営農振興センター
前原 龍太郎
儲かる農業をする、という強い信念を持っていて、各種講習会や説明会でも誰よりも熱心に話を聴いている姿が印象的です。こちらもその熱意に応えていきたいです。
JAおきなわ広報誌:あじまぁ
地域で頑張る農家を紹介する「農業人(はるんちゅ)」はあじまぁに掲載されています。
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