父が残した礎に、丹精し続けた10年間。
今年は「台刈り」に挑戦し、高品質で多くのドラセナを全国に届けたい。
父から受け継いだ、観葉植物「ドラセナ」の栽培。気が付けば10年が経ち、品質へのこだわりには年々思いが強くなる。「納得のいくものだけを出荷したい」という職人気質から、今年初めての「台刈り」に挑戦。沖縄の切葉生産をけん引し続ける北部地区で、一際情熱を傾け続ける期待の農業人を紹介。
青々と輝くドラセナ
台風の接近で雨雲が空を覆い、農村地帯に恵みの雨が降り注いだ8月初旬。JA北部地区営農振興センターからほど近い、名護市古我知を道行くと、辺りに広がる水田やサトウキビ畑が穏やかな景色を創り出していた。
一際立派なビニールハウスの中で「青ドラセナ」の栽培に丹精するのは、今号の農業人、新城究さん(46歳)。案内してくれたハウスの中は、通路を覆わんばかりに緑の葉が茂っていた。
「ドラセナの収穫時期は夏場と冬場の年2回です。夏場はハウスの屋根を巻き上げているんですけど、日差しが強すぎて葉が焼けてしまうんです。それを防ぐために遮光ネットを一面に貼っています」
さっそく品質へのこだわりを話してくれた究さん。雨粒でキラキラと輝くドラセナの葉が、より一層艶やかに見えた。
究さんを見守る赤い葉
究さんは30代半ばまで、本島中部で自動車の整備士として働いていた。農業を営む父薫さんと母米子さんの下に生まれ育った究さん。まさか自分が家業を継ぐなど頭の片隅にも無かったそうだ。
「10年くらい前ですね。父が体調を崩して、農業を続けられなくなったんです。母と兄弟で相談し合った時に、自分にやらせてくれと伝えました」
父薫さんが苦労を重ね続け、立派に作り上げてきたドラセナ栽培の礎。二代目としての就農を決意した究さんには、一点の曇りもなかったそうだ。
究さんが就農して5年ほど経った頃、父薫さんは他界した。
「父の代から『アトム』という赤い葉のドラセナを栽培していたんですけど、4年ほど前に、販売面で有利な青ドラセナに切り替えたんです。今でもところどころにアトムが生えてるんですけどね」
ハウス内を見渡してみると、一面が緑の中に、ところどころ赤い葉が顔を覗かせている。イモ状の強い根を持つドラセナならではの逞しさでもあり、まるで父薫さんが、究さんを見守っているかのようにも見えた。
冬場に向け、初めての試み
ドラセナはほとんどが県外に出荷される。生け花は勿論、冠婚葬祭用のスタンド花としても人気の高い花材だ。
高温多湿が生育条件のドラセナは、国内で冬場に栽培できるのは沖縄だけ。外国産も多く輸入されるが、高品質な沖縄産のドラセナは市場からの評価が高く、引き合いも強い。
「今期は単価の高い冬場に出荷量を増やしたいですね」
そんな究さんが今期初めて取り組むのは、「台刈り」だ。台刈りとは、夏場に一斉にドラセナを刈り取る作業のこと。通常は生長した順に収穫を行うが、台刈りでは生長途中のドラセナも全て刈り取る。夏場の出荷量が下がるリスクはあるが、台刈りをすると、冬場の出荷時期に高品質なドラセナがより多く収穫できるのだという。
こだわりが生んだ異例の「V4」
現在40アール(1200坪)の面積でドラセナを栽培する究さん。年間の出荷量は3万5000本と、所属するJA北部地区切葉専門部会ではごく平均的な出荷量だが、こだわりぬいた品質は折り紙付きだ。
毎年約500点ほどが出品される沖縄県花き品評会では、平成25年から4年連続の金賞受賞に加え、平成26年からは、3年連続の特別賞「農林水産省生産局長賞」を受賞するという異例の快挙を成し遂げている。
そんな究さんが今後の目標を話してくれた。
「ドラセナ以外の品目も作ってるんですけど、少しずつドラセナの栽培に転換していきたいです。でもね、出荷量が増えても品質にはこだわります。色、艶、大きさ全部含めてね」
確固とした品質へのこだわりで、父薫さんから受け継いだものを守り続ける。そんな究さんの作るドラセナは、これからも美しく艶やかに、多くの人たちを魅了し続けるに違いない。
JA担当者の声
北部地区営農振興センター
照屋 保志
人一倍の努力家で、遮光ネットの調節など細かい作業をいとわない姿に尊敬しています。生産物への厳しい選別の眼が、4年連続の受賞につながっていると思います。
JAおきなわ広報誌:あじまぁ
地域で頑張る農家を紹介する「農業人(はるんちゅ)」はあじまぁに掲載されています。
「あじまぁ」は組合員、地域とJAをむすぶコミュニティーマガジンです。各JA支店・JA関連施設(ファーマーズマーケット、Aコープ、JA-SS)よりお持ち帰りいただけます。
次代を担う 意気!域!農業人 (バックナンバーはコチラから!)