年一回の収穫、うまくいかないと悔しい。
食べる人の笑顔が生産の原動力。
母が長年続けてきたマンゴー園を引き継ぐことになり、30代半ばで本格的に就農。与えられた環境に満足せず、規模拡大もしながら、消費者から「美味しい」と言ってもらえるマンゴー作りに情熱を燃やす。今号は、食べる人の笑顔が生産の原動力と言い切る農業人を紹介。
広々とした敷地に立つハウス群
沖縄北インターチェンジを出て、石川バイパスを北上。山城ダムを過ぎ、くねくね道の山間部を行くとマンゴー農園の入り口に着いた。
ゲートをくぐり、真新しいビニールハウスが左右に並ぶ急坂を下ると、今号の農業人、池原淳次さん(44歳)が手を振って出迎えてくれた。
「平成24年にハウスを建てて、去年が最初の収穫だったんですよ」
そう話す淳次さんの後ろに見えるハウスから覗くマンゴーの樹はどこか小さく見える。
「マンゴーハウスは栄野比(うるま市)にもあるので、袋掛けから何から忙しくて大変ですね」
梅雨も明け、セミがせわしく鳴くこの時期、淳次さんもせわしくハウス間を行き来するのだそうだ。
就農して7年、面積も倍増
本土で就職し、30代で沖縄に帰ってきた淳次さん。もともと農業に興味は無く、忙しい時に収穫の手伝いをする程度だったそうだ。
それでも就農を決意したのは、タイミングだという。
「手伝ううち、うすうす継ぐような流れになっていました。わたし次男なんですけどね(笑)」
そう思っていた矢先、母リエ子さん(66歳)からの強力な後押しでマンゴー園の後継を頼まれた。
そして37歳で本格的に就農して7年。母が管理していた栄野比のマンゴー園23アール(約700坪)に加え、平成24年度に、ここ山城の土地に16棟のビニールハウス23アールを増設した。
大事な初期防除に始まり、土壌管理や枝の誘引、温度管理など、母の手伝いから徐々にマンゴー栽培の基本を教わった淳次さん。
生産に打ち込み、今では平成27年度沖縄県マンゴーコンテストで優秀賞を受賞するほど成長している。
美しい色にこだわる新たな試み
栄野比のハウスと合わせた全体では、昨年は2万個ほど収穫。
今年は、昨年の暖冬や年明けの寒波などで開花が遅れ、その結果、着果量が減り収量は半減するとみている。
着果の遅れからピークが7月下旬と、例年より半月ほど遅れる見込み。そんな苦しいシーズンだが、研究者といった印象の淳次さんは、試行錯誤を欠かさない。
「日焼け防止の袋掛けの際に、エアーコンプレッサーで袋を膨らませている。今年からの新たな取り組みですね」
袋の中で日光が乱反射できる空間を多くすることで、マンゴーの色づきが更に良くなると聞いた淳次さん。さっそく試したのだそうだ。
また畑にどの肥料成分が不足しているのかを見極めるため、JAが行う土壌診断も受ける予定だ。
「消費者には美味しさだけでなく、見た目も良いマンゴーを食べて欲しいですからね」
失敗から学ぶ地道な農業
農業の師である母からは、今でも肥培管理方法で小言(意見)があるそう。ただ、自らの栽培経験もあるため、ケースバイケース、半々の割合で自身の意見を通すそうだ。
「意見の違いはあっても、美味しいマンゴーを作るという目標は一緒ですからね」
母を尊敬しながらも、自分なりのやり方でマンゴーを作りたいという。
「マンゴーのおかげで毎日が充実している。年に一回しか収穫できないこともあって、失敗したらかなり悔しい。来年こそは!と思うのですが、今度は違う箇所で失敗をしてしまう。その繰り返し、一歩ずつ前進ですね」
言葉を選びつつ、一つ一つの問いに誠実な答えを探す淳次さん。
「マンゴーは、食べる人に美味しいと言ってもらえるかどうかです。美味しそうに笑顔で食べているのを見るのが何より嬉しい。それがマンゴー生産の原動力です」
情熱を持ってマンゴー生産に取り組む淳次さん。笑顔が溢れるマンゴーを作るため、試行錯誤を欠かさない淳次さんが作るマンゴーの味は、きっと年々美味しくなっていくに違いない。
JA担当者の声
中部地区営農振興センター
野菜果実指導課
與那覇朝亨
こつこつ頑張る方で、こちらも刺激になります。現地検討会や目揃い会など生産部会の活動にも積極的に参加していて情報収集にも熱心です。
JAおきなわ広報誌:あじまぁ
地域で頑張る農家を紹介する「農業人(はるんちゅ)」はあじまぁに掲載されています。
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